2019年01月30日

「相対性理論」との関係  

私は、アインシュタインの「相対性理論」について、詳しく知るわけでも、深く理解するわけでもありません。「相対性理論」は、はっきり言って、苦手であり、難しくてややこしいです(「量子論」の方がまだしもと思っています)。

ただ、最も基本的な部分での、見方というのは、一応理解するつもりなので、その線に沿って、前回みたような、時間・空間を超えた「移動」ということと、「相対性理論」との関係について、簡単な補足をしておきたいと思います。

「相対性理論」については、根本的に誤った理論である、という見方をする人もかなりあるようです()。しかし、私は、物質的なものと時間・空間の関係を明らかにした理論としては、基本的に正しいのではないかと思っています。実際、多くの実験的な事実は、この理論と符合します。

前回みたように、「光速度不変の原理」は、破られることがあるのですが、それは、「物質的な領域を超えた領域」にいたることで、起こるということでした。「物質的な領域を超えた領域」とは、「霊的な領域」ということでもあり、そこは、物質的なものと相関関係にある、「時間・空間を超えた領域」ということでもあります。

このような領域においては、物理法則を覆す現象が起きることは、当然と言え、それは、相対性理論に限らず、どのような理論においても、起こり得ることです。なので、そのことから、すぐさま、その理論そのものに欠陥があるということにはなりません。

問題は、何であれ、ある物理法則を、すべての領域に当てはまる、万能のものとみなしてしまうことです。つまり、すべての現象は、物質的な理論である物理法則によって解ける、という発想をしてしまうことです。それだと、その物理法則に当てはまらない現象が生じたとき、その現象を「ないもの」として葬り去るか、さもなくば、その物理理論が誤っているとみなすという、極端な選択をしなくてはならないことになるのです。

「相対性理論」について言うと、それは、むしろ、時間・空間の相対性を明らかにした点で、画期的な理論と言えると思います。ニュートンの古典物理学では、時間・空間は、絶対的な枠組みで、その中で、物理的な現象が起こるのでした。それでは、時間・空間が超えられるという発想そのものが、出て来にくく、そんなことは、受入れ難いこととなるでしょう。しかし、「相対性理論」が、時間・空間の「相対性」を明らかにしたことで、時間・空間が「絶対不動」のものではなく、超えられるという発想とも、結びつきやすいものとなったということが言えます。

ただ、「相対性理論」では、時間・空間ではなく、光(の速度)の方が「絶対的」な基準となったのです。時間・空間も、光の速度というものを一定にすべく、相対的に変化するということです。言わば、物質的なもの全体の基準となる枠組みは、時間・空間ではなく、光の方にあったということです。(と言っても、それが、顕在化するのは、物質の速度が光の速さに近づくときであって、通常の速度では、ニュートンの古典物理学が、近似的に当てはまります。)

これが意味するのは、物質的な領域にとって、光というものが、一種の「境界領域」にあるということだと思います。時間・空間を相対的ならしめる、光こそが、物質的領域の「ぎりぎり」の境界に、存在しており、それを超えた領域にいたると、時間・空間は、もはや、全体として超えられるということです。言い換えると、「物質的領域」を超えた「霊的領域」というのは、「光」を超えた領域なのであって、その結果として、時間・空間も超えられることになるということです。

「光を超える」とは、その速度を超えるということではなく、「存在」そのものとして、超えるということです。「速度」というのは、あくまで、空間・時間との関係で捉えられるものですから、その場合には、もはや「速度」という発想そのものが超えられることになります。

光とは、「電磁波」の一種であり、「光子」という「素粒子」でもあります。ですから、それは、「電磁波」という波動を超えるということであり、「素粒子」という物質を超えることでもあります。

「電磁波」というのは、電場と磁場の振幅が連続して伝わる、「見えない」波動エネルギーで、広く様々な情報を運ぶ媒体として利用されます。その在り方は、まさに、「霊的なもの」との境界領域を、よく示していると言えます。「電磁波」というのは、物質的な領域において、最も、霊的なものに類似する性質のものなのです。

ただし、電磁波も、物理的なものである以上、距離の二乗に反比例してエネルギーを減ずるなど、物理法則に従います。ところが、霊的なものとなると、電磁波と似た性質を持ちつつも、そのような物理法則には従わず、さらに自由度の高いものとなります。

また、「素粒子」というのは、微小ながら、一定の体積をもち、空間的な位置を占める、「物質」なのですが、「光子」の静止質量は「0」とされます。つまり、質量をもたない、物質としては、「ぎりきり」の存在とも言えるわけです。「霊」というのは、それを超えて、質量をもたないだけでなく、もはや、体積ももたず、特定の空間的な位置を占めることもない存在と言えます(ただし、みかけ上、そのように見えるということはあります)。

前回、KANという人が、そのような領域を「潜象界」(「現象界」の背後にある、具体的に形をなさない潜勢的な世界)と言っていることをみましたが、まさに「物質的な領域」を超えるとは、そのように、物質として顕現する以前の、潜勢的なものに帰すこととも解し得ます。そこから、エネルギー状態、または波動を落とすことで、再び、物質的なものとして顕現することも、可能と解されるのです。

このように、「霊的な領域」とは、物質的なものの境界にある、「光を超える」領域であり、そこに至ると、空間・時間も、結果として超えられるということです。前回みたように、「テレポーテーション」などの現象は、このようにして起こる現象で、「宇宙人」の移動方法というのも、やはり、このようなことを、何らかの技術によって、可能にしているものと解されるのです。

しかし、だからと言って、相対性理論そのものは、物質的な領域の内部では、「正しい」ことに変わりなく、それ自体に欠陥があるということにはならないということです。

ここで述べたことは、あくまで、「基本的なものの見方」を簡単に示したものに過ぎません。が、相対性理論というものを例にとって、物質的な領域と霊的な領域について、どのように捉えられるかということの、一つの分かりやすい例を示すことはできたと思います。

 「エーテル」の否定について

特に、相対性理論がエーテルを否定したという点について、疑義が唱えられることが多いようです。「エーテル」とは、真空中に充満すると想定される媒質で、光の波動を伝えるものとして要請されたものです。

しかし、この「エーテル」を物理的に確認することは、現在までのところ、できていません。私も、「エーテル」というものを、「物理的実体」として想定することは、無理なのではないかと思います。オカルトの方でも、「エーテル」の存在が言われますが、これは、東洋で「気」に相当するもので、「物理的な実体」ではありません。それが、真空中に充満していることは、確かと思われますが、直接光の波動を伝える役割をするようなものではないと思われます。(この意味の「エーテル」または「気」については、いずれまたとりあげます。)

ただし、この「エーテル」を否定することで、空間そのものの媒質性やエネルギー性に目が向けられることは、少なくなり、「量子論」との折り合いは、悪くなったのではないかと思われます。

本文で、「光が物質の基準となった」と言いましたが、物質と時間・空間は、相関的に結びついて存在しているという視点も重要と思います。時間・空間も、単なる「枠組み」ではなく、ある種の「物理的な実体」で、物質そのものと結びついて存在しているということです。そのような相関的な結びつきの中で、「光」という存在が、物質的領域のぎりきりの境界線上にあり、それを超えるということは、必然的に、それと結びついた時間・空間も超えるということになるのだと思います。

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2019年01月18日

「宇宙人」が地球に来ている可能性 3

これまでみて来たように、現段階の地球上の理論や技術がどうあれ、現に「宇宙人」が地球に来ていることは、十分示唆されることです。

現段階の地球上の理論として通っている、アインシュタインの「光速度不変の原理」によれば、光より速い速度はあり得ないので、遠い天体から、「宇宙人」が地球に来ることは、事実上不可能という「見方」が、それを認めることを阻んでいるに過ぎないのです。

しかし、視点2として述べたとおり、それは覆される可能性のあるものです。

2 「光速度不変の法則」などの物理理論は、現段階で認められているものに過ぎず、ある限定領域で当てはまるものに過ぎないとして、今後塗り替えられる可能性がある。

現在の地球上でも、この理論に納得できず、疑義を唱える者は多くいます。また、この理論を(部分的に)覆えすような理論を提出する研究者もかなりいます。さらに、光の速度は、宇宙の初期段階では不変ではなかった、ということを示す研究もあります(https://news.mynavi.jp/article/20161129-a058/ 参照 )。「量子もつれ」のように、ミクロの領域では、光の速度を超えて、量子間で情報が伝播したと解すほかない現象もあります。

つまり、現段階においても、決して「光速度不変の原理」及び「光の速度が超えられない」という法則は、絶対に覆すことのできない理論とは言い難いものです。

宇宙間を航行する宇宙船の航法としても、「光の速度が超えられない」という法則を覆す、SFの領域ではおなじみの、「ワープ航法」というのは、よく知られています。一口に「ワープ」と言っても、「ウィキペディア」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%97 )にみるように、様々な方法が考えられ、決して「架空の夢物語」ではありません。NASAの科学者も、「ワープ航法」を現実的な可能性あるものとして研究しています( https://uchutankentai.com/2018/09/04/warp/ 参照 )。

地球のはるか先を行く「宇宙人」が、この「ワープ航法」または類似の方法で、時空を一瞬にして移動して、地球に来ているという可能性は、ないとは言えないはずです。

実は、地球上でも、ミクロの領域に限らず、マクロの領域でも、情報や物体が、一瞬にして、空間を移動すると解される現象は、あるのです。

超能力のところでも述べた、「テレパシー」というのは、距離の影響を受けずに、情報が一瞬にして伝播する現象と考えられます。実際に、光速度を超えて、一瞬にして情報が伝播しているのかどうか、確かめることは困難ですが、距離の影響を受けないことは確からしく、宇宙空間と地球上において、一瞬にして情報が伝播した可能性を示唆する実験結果もあります。

また、超能力の一種に、「テレポーテーション(瞬間移動)」というのもあります。超能力者が、ある物体をテレポートさせるという現象もありますが、自分自身の身体をテレポートさせ、別の場所に一瞬にして移動するという現象もあるのです。超能力者の清田氏は、かつてそのような現象をよく体験し、ジャーナリストの森達也が、その報告をしています(『職業欄はエスパー』角川文庫)。また、最近では、KANという人が、そのような体験をかなり詳細に報告し、説明しています(『時空を超えて生きる』ナチュラルスピリット)。

これらも、本当に光速度を超えて、一瞬にして移動しているのか、検証されているわけではありませんが、清田氏は、火星にテレポートした体験があるし、KAN氏は、日本から海外にある山に、一瞬にして移動したと言います。速度という観点から見る限り、光速度を超えている可能性があります。

このような超能力は、記事『霊」についての総合的考察 3』でもみたように、我々の本質である「霊的なもの」が物理法則を超えて作用するために、出現するとみることができます。言い方を変えれば、「霊的なもの」が、物理的世界の枠組みである、時間・空間を超越して働くということです。「テレポート」というのも、物質が、物理的な領域から、時間・空間を超え出た霊的な領域へと移行し、再び物理的な領域に戻ることで可能となるものと思われます。

KAN氏は、「潜象界」(「現象界」の背後にある、具体的に形をなさない潜勢的な世界)と言って、「霊界」とは別と言いますが、「物質世界の枠組みとしての時間・空間を超えた世界」という意味で、広い意味で「霊的な領域」と言っていいと思います。要するに、死後に行く霊界ではなく、物質的な世界を超え出た「霊的な世界」という意味です。

そのような、時間・空間を超え出た世界を通って、時間・空間の枠内にある世界に戻るときに、結果として、「光速度を超えて、一瞬にして移動した」と解釈されるような現象が起こるということです。

そして、「ワープ航法」というのも、恐らく、(様々な可能性はあるでしょうし、物理的な技術というものと、何らかの形で連動していると考えられますが)私は、基本的にその延長上にあるものと思います。

「宇宙人」について考察する場合には、物理的な領域を超えて、「霊的な領域」にまで範囲を拡張する必要がある
ということです。記事『様々な「霊的存在」― 特に「悪魔的存在」 』で述べたように、「宇宙人」とは、実質「霊的な存在」である可能性もあり、あるいは、物質的な形態をとるにしても、物質的なものを超えて、「霊的な領域」にまで、存在領域を拡張したものである可能性があるからです。

視点3として、述べたとおりです。

3 「霊」についてみたように、霊的なものは、物質的なものを超えた現象を起こす。「宇宙人」についても、物質的な存在というよりも、このような霊的存在である可能性があり、あるいは、物質的なものを超えて、霊的なものと同様の性質をもって存在する可能性がある。

「宇宙人」は、地球上の「霊的な存在」と同様、物理的な領域を超えたところから、時間・空間を超えて、人間に働きかけることのできる存在と解されるのです。だから、「宇宙人」が、地球に来る意志がある限り、それは可能なことであり、そして、そうである限り、現に人間に影響を与ているものも多くある、と解されるのです。

「霊的な存在」が、時間・空間を越えて、物質的な領域に働きかけられることは、前に紹介した、木内鶴彦氏の臨死体験の例でも、はっきりとみられます。木内氏は、肉体を離れて、霊的な存在となったとき、好きな場所に移動し、また、様々な時代に溯って、当時の出来事を観察したり、ときに、その当時の人間の体の中に入って、影響を与えたりもしているのです。

「宇宙人」を物理的な存在とみなし、現在の地球上の科学技術の発展の延長上に捉えようとすると、なかなか理解し難いことかもしれませんが、そもそも、地球上の歴史においても、「人間」や「宇宙」を単純な物理的な存在とみなすようになったのは、近代になってからです。その近代の発想の延長上に、「宇宙人」というものも、イメージされているわけですが、それは、あまりにも特殊な、限定的な見方であると言うべきです。

近代以前には、人間に限らず、森羅万象が、霊的なもの、または神的なものと結びつけられて考えられたので、近代人のいう「宇宙」も「宇宙人」も、霊的な存在であり得、また、神々そのものとして認識されていた可能性があります。物質的なもの、そのものに関する知識は少なく、全体として素朴な見方ではありましたが、大枠としては、「宇宙人」についても、こちらの見方の方が、結果的には、より「真実」を捉えていたと言うべきなのです。

この辺りのことは、『狂気をくぐり抜ける』のブログ記事『「宇宙人」と「霊的なもの」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-57a6.html )でより詳しく説明しているので、是非そちらも参照ください。

このように、1の視点を重視し、現に宇宙人が地球に来ている可能性が十分示唆される以上、視点2と視点3を考慮すれば、現実に宇宙人が地球に来ていると考えることに、さしたる支障はないと言うべきなのです。

そして、その目的は様々であり得、たとえば、ただ観察したり、調査したりしているだけの存在もあるでしょうが、このような宇宙人の中には、様々な霊的な存在と同様、人間にいろいろな影響を与えつつ、現に関わっているものも多くあると思われるのです。このことについては、いずれまた触れたいと思います。
posted by ティエム at 22:55| Comment(0) | UFO、宇宙人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

「宇宙人」が地球に来ている可能性 2


年またぎになってしまいましたが、引続き「宇宙人」について述べます。「宇宙人」は、オカルトの中でも、現代的に特に重要なものです。

前回、3つの重要な視点の1として、次のものをあげました。

1 現に「UFO」や「宇宙人」と遭遇したという目撃報告は、世界全体で多数存在し、その写真やビデオなどの記録も多く存在している。

この視点については、かなり説明を端折って、現段階の地球上の理論や技術がどうあれ、これにより、UFOや宇宙人が地球に来ていることは十分示唆される、という結論に行ってしまったので、今回はもう少し補足をしておきます。

これらの目撃報告や写真、ビデオの中には、特に知識をもたない全くの素人によるものから、専門的な知識をもち、訓練を受ける、軍関係者、パイロット、宇宙飛行士によるものまで、様々あります。全体として、もちろん、既知の現象との誤認や錯覚、フェイク(作りもの)というべきものも多いですが、それでは説明できないものも多くあります。特に、軍関係者、パイロット、宇宙飛行士によるものは、他の説明がつけにくく、価値が高いといえます。

ところが、これら軍関係者などの情報は、防衛上の秘密に関ることなので、通常は表に出ることはありません。ただ、最近は、情報公開法によって公開された文書や、前回もあげた、「ディスクロージャー・プロジェクト」のような運動によって公開された証言など、かなりの量が表に出つつあります。このような情報は、隠蔽すべきではないとして、あえて暴露しようという人も増えているのです。

UFOや宇宙人に関しては、政府や軍が、表向きは否定、隠蔽しつつ、秘密裏に研究しようとすることも、重要な問題です。実際、米国防総省が、かつての研究機関プロジェクト・ブルーブックを閉鎖して後も、UFOの研究を続けていたことを、最近(2017年12月)公式に認めました。( https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/ufo.php )このことは、日本の全国紙でも報道されました。

米国防総省は、2012年に研究を終了したと言っているのですが、かつてのプロジェクト・プルーブックを閉鎖したということ自体ウソだったわけですから、これもウソである可能性が高いというべきです。研究をしていることが、UFOや宇宙人の存在を認めていることには、必ずしもつながりませんが、ウソによって、表向き閉鎖してまで、研究し続けているということは、その可能性を認めているのも同然とは言えると思います。

何しろ、表に現れにくい中で、軍関係者等の暴露した情報は、非常に価値が高いと言えますが、その代表が、前回あげた「ディスクロージャー・プロジェクト」による「摘要書」です。(http://www.peopleknow.org/ds08pro/ )

部分的にでも、読んでもらえば分かりますが、そこでは、単に、地球上のものとは考えられない飛行性能を有する、未知の飛行物体が飛んでいるというレベルのことだけでなくて(このようなものは、公開された機密文書にも多数報告されているし、一般のビデオなどにも数限りなく録られています)、墜落した宇宙人のUFOや宇宙人と関った者による、具体的な証言や、現に宇宙人から提供を受けたUFO等の「逆行分析」を通して、UFOの推進力である「反重力」や、「ゼロポイント・エネルギー」などの「地球外起源の技術」を、「地球の最上層部の組織」が、既に実現可能なものとして手に入れたことなども語られています。

「地球の最上層部の組織」というのは、情報提供者ら米軍の上層部や米政府からも独立して行動できる、まさに地球規模の最高の秘密組織で、UFOや宇宙人に関する情報や技術を独占し、徹底的に監視、統制している組織です。ことは、一国の政府や、国と国の問題ではなく、地球全体の規模に関る問題のわけです。

このような組織が、UFOや宇宙人に関する情報や技術を独占することを危惧して、情報を暴露しようとする者も多いわけです。

ただし、これらの情報が、100%信用のおける、本当のものかどうかというのは、また別の問題で、ここではおいておきます。しかし、これらのことは、少なくとも、目撃されたUFOや宇宙人の一部は、単に、未知の自然現象とか、地球上の科学の延長上にある、地球上の秘密兵器などということでは説明し難いものであることを、十分物語っています。実際に、地球外の「宇宙」から、何らかの方法で来た「宇宙人」によるものと考えるのが、最も自然であると言わざるを得ないものということです。

他にも、これに類する情報を暴露し、「宇宙人は既に地球に来ている」と公言する人たちは、かなりいます。たとえば、カナダ前国防大臣のインタピュー(https://www.youtube.com/watch?v=HTqDbY4dggs
)、宇宙飛行士エドガー・ミッチェルの証言( https://tocana.jp/2017/12/post_15431_entry.htmlhttps://www.youtube.com/watch?v=laqQx6D8fgI)をあげておきます。

ただし、決して、これらの人たちの証言だけが重要なのではなく、一般の目撃報告や写真、ビデオなども、これらの者の証言と照らし合わせて、それを補う役割を十分果たします。また、これらの現象が、どの程度の頻度で起こっているのかを示す、重要な指標にもなるでしょう。

前回みたように、このような考察を阻むのは、現段階の地球上の理論を当然の前提にして、宇宙人が、他の天体から、遠い距離を克服して、地球に来ることは技術的に不可能という「ものの見方」です。しかし、前回あげた視点2及び3と照らし合わせて、総合的に考察すれば、そのような見方も根拠が薄いものであることが分かるはずです。



posted by ティエム at 23:52| Comment(0) | UFO、宇宙人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月24日

「宇宙人」が地球に来ている可能性 1

「霊」については、存在するかどうかを総合的に考察することから始めました。「宇宙人」についても、まずは、そのような考察から始めることにします。

ここまでみて来たところから、「霊」が認められる以上、「宇宙人」の存在も認められる可能性が高い。あるいは、少なくとも、「宇宙人」を否定する論理は、「霊」についても当てはまらないから、もはや否定する根拠としては弱過ぎる、と考える人は多いと思います。

しかし、「宇宙人」については、「霊」とはまた違った考察が必要で、「霊」については認められても、「宇宙人」については認め難いという人も、多いかもしれません。「霊」と「宇宙人」では、かなりイメージが異なるのは事実です。「霊」は物質的なものではありませんが、「宇宙人」なら、物質的なものの延長上に捉えられそうではあるからです。そして、であるならば、存在すること自体はともかく、「地球に来ている」ことは否定されるという考えも、あり得ることになります。

しかし、それは、後にみるように、地球上での、近代以降の「ものの見方」の発展の歴史という事情によるもので、本来、本質的な差異はないと言うべきなのです。

ともあれ、「宇宙人」について、一応、基本的なことから、述べることにします。

「宇宙人は存在するか」と言っても、この広い宇宙全体に、知的生命が、地球人しかいないと考える人はいないでしょう。その意味では、「宇宙人が存在する」こと自体は、当然のこととして認められていると言えます。現に、ドレイクという天文学者が提出した方程式によると、銀河系に知的生命が存在する惑星の数は相当数あると見込まれます。

ところが、そのような「宇宙人」が「地球に来ている」とか、「人間に影響を与えている」となると、途端に、認める人は少なくなります。宇宙全体に、知的生命を広く認めていながら、このように信じることなど、私には、とても信じ難いことですが、現にそうなっています。

それは、要するに、「宇宙人」という場合の「知的生命」というのは、地球における物理的な存在である、人間を基準にして、その延長上に考えられているからでしょう。先のドレイクの方程式にしても、地球の生命体を基準にして、生命が生まれる確率とか、さらに知的に発達して、電波を発するようになる確率とかが、項として組み込まれているのです。それでも、相当数の惑星の数が見込まれるというのは、これだけ大きな限定を加えても、つまり、地球人と同類の、しかも進化的に類似した段階にある生命体というものに限ってすら、相当あることが見込まれるということにはなりますが。

また、「地球に来ている」ことが認められないのは、地球上の現段階の物理理論と技術を前提にして、それは技術的に不可能とみなされるからでしょう。アインシュタインの相対性理論に「光速度不変の法則」というのがあって、光の速度は超えられないことになっていますから、どんなに近くとも、光の速度でも数年以上かかる惑星から、その距離を克服して、わざわざ地球に来ることなどあり得ないということです。そして、そうであれば、「人間に影響を与える」などということも、当然ないこととみなされます。

どんだけ、「地球人基準」なんだと思いますが、現に地球上で認められている、科学的に確実な前提に立って、考察するというなら、それしか方途はないというのも、一理あるとは思います。しかし、宇宙全体の生命の問題に、ここまで地球人的前提を持ち込むこと自体が、既に「確からしさ」を大きく踏み外してしまっている、と私には感じられます。

いずれにしても、「現実的」に、現に「宇宙人」が「地球に来ている」かどうか、「影響を与えている」かどうかを、考察するなら、ここでも、単に、これまでの物質科学的な方法に拘らずに、「総合的」に考察する必要があります。

その場合、以下の3つの視点が重要になると考えられます。

1   現に「UFO」や「宇宙人」と遭遇したという目撃報告は、世界全体で多数存在し、その写真やビデオなどの記録も多く存在している。
2 「光速度不変の法則」などの物理理論は、現段階で認められているものに過ぎず、ある限定領域で当てはまるものに過ぎないとして、今後塗り替えられる可能性がある。
3 「霊」についてみたように、霊的なものは、物質的なものを超えた現象を起こす。「宇宙人」についても、物質的な存在というよりも、このような霊的存在である可能性があり、あるいは、物質的なものを超えて、霊的なものと同様の性質をもって存在する可能性がある。

私は、「現に地球に来ている」かどうかを問題とするなら、1の視点こそが重視されるべきで、「現に来ている」のであれば、地球上の理論や技術がどうであろうが、それはそれが改められるべきものであることを示すに過ぎず、「来ている」ことを否定する理由とはならない、と思います。

ただし、「UFO」や「宇宙人」と遭遇したと言っても、それが「宇宙人」という、地球以外の知的生命体(のもの)であることを、証明することなどは、不可能でしょう。それは、「宇宙人」というものを、どのようなものとして捉えるかということ自体に大きく影響されることだし、それについて共通の理解を得ることは、現段階の地球上では、難しいことのはずだからです。それは、一応経験的に知られている、地球上の「霊」や「霊的存在」以上に、難しいことかもしれません。

先にみたように、一般に、物理学者などは、「地球基準」の物理学的な理論の延長上に捉えようとしますが、それだと、むしろ、それがために、その「枠組み」に収まらないようなものは、「宇宙人」と認められないことになってしまいます。「地球上のものではない」と思われるようなものこそ、「宇宙人」と認められることはなくなってしまうということです。

「UFO」や「宇宙人」と遭遇したという事例や写真、ビデオなどについては、現代では、数限りなく、ネットなどにあげられているので、それについていちいち触れることはしません。ただ、その中でも、このような現象について多く知れる立場にある、米軍上層部の人たちの暴露した情報の記録は重要と思われるので、あげておきます(http://www.peopleknow.org/ds08pro/ )。多大な量ですが、ぜひ参照ください。なお、記者会見の動画もあります(https://www.youtube.com/watch?v=KicoTXPF1_E&feature=relmfu )。

いずれにしても、このようなものが、すべて、既成の現象の誤認や錯覚、虚偽などで説明できるものでないことは、疑いありません。

要は、先にみたように、このようなものを、「宇宙人」(のもの)と積極的に認めることは難しいという事情があるのみです。それにしても、「何か地球上の理論では説明し難いものが空を飛んでいる」ことや、「地球上の存在とは認め難いものと遭遇する」ことがあるということは、もはや間違いないということになるはずです。

それには、様々な可能性が考えられることは事実で、たとえば、「未だ地球上で確認されていない未知の現象」であったり、あるいは、一見地球上の技術を超えるようにみえても、隠蔽などの理由により、表には出ていない技術により作られた、「地球上の秘密兵器」などの可能性があります。何らかの理由により、秘密機関が、「宇宙人」を装って現れるというようなことも、あり得ることかもしれません。

しかし、先の米軍上層部の暴露した情報など、自然上の未知の現象などでは説明できないほど、具体的に、現に意思に基づく操作を受けている、機械的な物体としての性質をもつものや、人間状の形態をはっきりもつものなどが、多くあります。地球上の秘密兵器としてみるのも、不可能と言えるほど、地球上の技術からかけ離れたものも多くあります。総体としてみれば、「未知の現象」や「秘密兵器」など、他の可能性で説明するのも、不可能と言うべきものが多くあるのです。

つまり、「宇宙人が地球に来ていることがありそうもない」という前提に立たない限り、「宇宙人による」ものと認める方が自然なものが、多くあるということです。

そこで、2と3の視点を合わせて考察すれば、「宇宙人が地球に来ていることがありそうもない」という前提自体、さほど根拠のあるものではなく、「宇宙人が地球に来ている」可能性は高い、と言わざるを得ないことになると思われるのです。しかし、それについては次回述べます。

posted by ティエム at 16:32| Comment(0) | UFO、宇宙人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

様々な「霊的存在」― 特に「悪魔的存在」

前に、記事『「霊」とは何か』(http://tiem-occult.seesaa.net/article/461645415.html )で述べたように、「霊」なるものがあるとすれば、人間にだけでなく、いろいろな存在にもあるはずです。また、もともと、霊だけで存在できるのだとすれば、物質的な身体をもたない「霊的存在」というのも、種々いるはずです。

実際、近代以前または近代以外の「普遍的」な文化は、そのように解して来ました。動物には、「動物霊」が宿り、木などの植物にも、その植物の「霊」が宿ります。そればかりか、石や鉱物にも、何らかの霊的なものが宿っているとされます。

また、物質的な身体をもたない霊的存在も、広く認められています。「精霊」、「神々」、「妖精」、「妖怪」、「天使」、「悪魔」、「神」など、文化や宗教形態により、様々な呼び方がありますが、これらはすべて、そのような存在です。「スピリチュアリズム」では、これらを「自然霊」と呼びます。

これらのほかに、現代では、「宇宙人」と呼ばれるものも、重要な存在となっています。「宇宙人」というと、太陽系外の惑星に住む、人間と同様の存在というイメージでしょうが、広く、宇宙起源の、地球の人間と関わり得る存在が問題です。そして、これらは、単純に、人間を基準にして、物質的な存在とするわけにはいきません。物質的なものを超えた、「霊的存在」の一種と解すべきものも多く、現に、かつては、先のような、「精霊」、「神々」、「妖精」、「妖怪」、「天使」、「悪魔」、「神」などと呼ばれていた可能性があります。

この「宇宙人」については、次回、改めて述べたいと思います。

日本の神道では、「神々」は、岩や鏡、神木などの、「御神体」に宿るとされますが、それは、一定期間、または一時的に宿っているのであって、本来、物質的なものを住処としないで、自由に移動できる、霊的な存在です。

「妖精」や「妖怪」などは、「UMA」(未確認生物)と言われることもあり、物質的な存在と同様に、視認され、人間と接することもよくあります。日本では、妖怪としての「狐」や「狸」、あるいは「カッパ」などが有名でしょう。

しかし、これらの存在も、常に、物質的な形態をとっているわけではなく、ある期間、または一時的に、「物質化」しているものと解されます。「神々」や「精霊」なども、一時的に「物質化」して現れることがあります。前に触れたように、人間の幽霊ですら、「物質化」して現れることがあるのです。

記事『「霊」とは何か』で述べたように、「霊的なもの」は、本来「物質的なもの」を含むので、それが凝縮して、物質的なものとして現れ出ることもできるのです。ただし、それには、相応のエネルギーがいるようで、長い間、物質化していることは難しいようです。

このような、様々な「霊的存在」が認められるようになったのは、一つには、このようにして、物質化して現れて、人間と接することが多くあったからと思われます。どこの文化にもある、「昔話」や「伝説」に記録されていることは、文化的な脚色を受けているとはいえ、本当にあったことなのです。現在でも、「都市伝説」として、このような「接触」は多く伝えられています。

私自身、(「宇宙人」も含める必要がありますが)これらの存在が物質化したもの(と解すほかないもの)に、出会ったことがあります。

しかし、これらの霊的な存在が、広く認められるもととなったのは、やはり、「シャーマン」という特別の能力をもった人間を、介してのものと思われます。シャーマンは、先住民文化において、どの共同体にも、一人はおり、これらの霊的な存在と交流する特別な能力を備えています。そして、それらの存在から、様々な知識を与えられたり、守護されたり、あるいは、こちらから、交渉して、さまざまな力を引き出したりします。それが、儀式などを通して、共同体の多くの者にも、共有されるわけです。

だから、先住民文化にとっては、このような霊的な存在が、普遍的に認められることになるのです。文明化した文化においても、その伝統は、多かれ少なかれ引き継がれており、かつてのシャーマンの役割をする者は、存在しています。 それで、そのような文化においても、このような霊的な存在は、認められているのです。ただし、先住民文化の「精霊」などの存在こそが、その原点のようなもので、より原初的な姿を現しています。文明化された文化の、「神々」や「神」などは、文化的に脚色された「観念」を、多くまとっていると言うべきです。

私も、また、記事『私の体験から』(http://tiem-occult.seesaa.net/article/460455111.html )で述べたように、(物質化して現れたものとは別に)霊的な存在としての、様々な「精霊」と遭遇しました。これらは、人間と共通する面もあり、似たものとして現れ出ますが、人間とは異質の面が強く、かなり強烈(ときに攻撃的)な存在です。それで、それまで人間という存在しか想定していなかった私は、大きな混乱に見舞われました。実際、人間という範疇の想定しかない者にとっては、そうなるしかなく、その混乱が、周りには、「病的」とみなされるような、危うい反応をもたらすのです。「妄想」というのも、その遭遇を、自分の理解できる範囲のことに引き寄せて、自分流に解釈した結果です。

それは、かつては、そのようなものとして「知られたもの」だったわけですが、近代になって、そのようなものを「ないもの」として切り捨てたので、それに対処する手立てを失った、ということによる面が大きいのです。

これらの存在は、「神」や「神々」という言い方だと、洗練されたイメージになるでしょうが、実際、エネルギーに満ちた、「荒々しさ」というものを醸し出しているので、「精霊」という言葉がぴったり来ます。

それらは、性質にもいろいろあり、人間からみれば、「善」または「味方」、あるいは「悪」または「敵」という捉え方で、捉えることもできます。「天使」や「悪魔」という言い方は、それを反映したものといえます。ただし、そこには、やはり、多分に、人間の都合による、解釈が入り込んでいます。「善なるもの」といい、「悪なるもの」といっても、人間からみた、人間の都合により、それらに押しつけられた「観念」に過ぎない、という面が多くあるからです。

とはいえ、もし「悪魔は存在するか」と問われるならば、当然、「存在する」と言わなくてはなりません。人間にも、「悪人」がいるのに、霊的存在に、「悪なる存在」がいないはずがありません。そして、そのスケールも、当然、人間とは比べ物にならないものとなります。

様々な「霊的存在」について、みて来ましたが、それらが、ただ単に「存在している」というだけでは、それを特に問題にする意味もありません。それらの存在が、人間に対して、多くの影響を与えていると思われるからこそ、問題にする意味があるのです。

先にみたように、そもそも、先住民の文化からして、シャーマンとの交流を通して、「精霊」が、多くの部分をもたらしたといえます。木内鶴彦氏の臨死体験の例でもみたように、霊的な存在は、人間を通して(憑依して)、様々な行為をすることもできます。我々の意思に基づくと思われている、人間の行為の多くが、霊的な存在の影響によるという可能性は、常にあるのです。何しろ、我々が思っている以上に、霊的な存在の影響を受けているというべきなのです。

ところが、近代に入って、そのような存在がいないとみなされて、「排除」されたため、人間とそのような存在との関係は、大きく変化したと考えられます。特に、それらの存在の中でも、これまで人間に友好的に働きかけていた存在との関係が、大きく「断たれた」可能性があります。そして、それは、その間隙をぬって、逆に、「悪意」ある存在が、人間を好きなように、「支配」する契機をもたらしたといえます。自らの存在が知られることもなく、他の霊的存在に邪魔されることもないので、いいように、人間と関ることができるからです。

実際、現代とは、かつてないほど、人間が、「悪魔的存在」の影響のもとにある時代ということがいえます。現代の社会情勢や、人間同士のあり方を顧みれば、それも頷けることのはずです。争いや戦争が絶えないのも、その影響によるところが大きいのです。もちろん、人間そのものにも原因がありますが、人間の内部からのみそれを追究しようとしても、なかなかうまくいかないし、現にそれが止むことはないでしょう。人間が、そのような存在がいないと思っていればいるほど、なぜとは明確に分からないままに、その影響から脱せられない状況を、闇雲に拡大し続けてしまうのです。

何度も触れたように、「オカルト」という言葉が、「おどろおどろしい」ものを連想させ、嫌悪感をもたらすことにも、この「悪魔的存在」の影響が強く働いています。人間は、表面的には否定しつつも、「オカルト」という言葉が、「悪魔的なもの」と結びつくことを、心のどこかでは知っているというべきなのです。

記事『私の体験から』でみたように、この世的なものからはみ出して、霊的世界の入り口に踏み出す体験が、病的なものになりやすいのも、その影響が強く働いているからです。実際、私の遭遇した存在の多く、というより、私が最も強いインパクトを受け、影響を被った存在も、 そのような悪魔的存在です。そして、一連の体験の間には、このような存在が、いかに多くの人間に影響を与えているか、いやというほど、肌で知らされることになりました。

私は、このような存在を、人間の「善悪の観念」に入れ込んで、「悪魔」と呼ぶのは適当でないために、「捕食者」と呼んでいます。ブログ『狂気をくぐり抜ける』でも、多くそれに触れています。こちらでも、それについては、改めて述べることにします。

いずれにしても、現代では、特に、このような悪魔的存在との関係を問い直すことが、重要になっています。私が、「オカルト」ということを、正面から問題にする理由の半分も、実は、そのことにこそあると言ってもいいのです。

posted by ティエム at 23:39| Comment(0) | 精霊、神々、捕食者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする