2018年07月26日

「魔女」とオカルト 日本の場合

「魔女狩り」は西洋での出来事ですが、日本の場合はどうなのでしょうか。

日本では、キリスト教的な「魔女」観念はなかったので、文字通りに、同じ現象というのはありません。しかし、同じような意味合いをもつ出来事を、2つほどあげることができます。

1つは、江戸期の頃、「犬神」「狐」などの、「憑き神」が家に憑いている(または飼っている)とされ、「憑き物筋」と呼ばれて、様々な差別を受けた人たちがいました。

この人たちは、家に憑いている(飼っている)「憑き神」を、操って、他人に飛ばして、憑けて、様々な災厄をもたらすとされたのです。

「憑き神」を操って、様々な現象を起こすなどは、「式神」を操る「陰陽師」として有名な、安倍晴明と同じで、まさに「呪術師」そのものです。「魔女」と非常に近いものがあります。「魔女」とは違いますが、「憑き神」という民間の信仰が、そのようなものを支えていたのも同じです。

これらの人たちは、つき合いや婚姻が制限されるなど、陰に陽に、様々な差別を受けました。しかし、決定的に「魔女狩り」と違うのは、殺害されたわけではないということです。村の外れで、一応、村の一員として、暮らすことはできていたのです。また、この「憑き物筋」は、もっぱら排除されたわけではなく、村の秩序を保つ一定の役割も担ったのです。

たとえぱ、「憑き神」に憑かれて病気になった者を、祈祷師が「憑き神」に、憑いた理由を質しつつ、癒すことは、村全体の癒しにもつながることでした。また、村の掟を破るような、はみ出し者を、「憑き神」により、懲らしめる役目もあったのです。

このような、「憑き物筋」については、ブログ『狂気をくぐり抜ける』の記事、『日本の憑きもの』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-6390.html )に詳しく述べているので、ぜひ参照してください。

何しろ、信仰形態としては、「魔女」と近いものがあり、特に、西洋で、「魔女」のイージの元となった、民間の占い師、治療師に近いことが分かると思います。実際、この「憑き物筋」も、かつての伝統的なシャーマンの名残そのものです。

その扱いが、近代の前の江戸期には、かつてと違って、大いに差別的で、マイナスイメージのものになっていたのは、西洋の場合と一緒です。ただ、徹底的に排除されるまでには、至らず、一定の条件のもとに、暮らして行くことが、許されていたということです。これは、キリスト教の影響で、徹底的に「悪」と結びつけられることはなかったこと。村において、一定の役割が認められ、抑えつける「管理」もなされていたので、それ以上に、村人たちの「排除」の意思を被らなかったこと、が原因と思われます。

しかし、もう一つの方は、かなり壮絶です。私も、『身分差別社会の真実』(講談社現代新書)という本で知るまでは、知らなかったものです。それは、明治期に、政府によって、「えた・ひにん」などの差別を廃止する布令が出されたときに、民衆がそれに反対して、「えた・ひにん」の部落に押し寄せて、多くの人を残虐に惨殺したという事件です。「解放令反対一揆」ともいわれます。

政府が「えた・ひにん」などの差別を廃止するというのを、民衆の方が拒んだということです。拒んだだけでなく、残虐に惨殺したのです。西洋のように、異端審問所や宗教裁判所が刑としてなしたのではなく、民衆自体が手を下したというのも、壮絶です。ただし、規模は、もちろん、「魔女狩り」とは大きく異なり、日本の中の、特に西日本の地域で、一時期、広まった現象です。

「えた・ひにん」と呼ばれた人たちには、様々な者がいましたが、その中には、「清目」といって、不浄なものを「清める」役目をした人たちがいました。それは、不浄なものを「祓う」特別な力をもつ、とみなされた人たちです。かつては、畏れ、敬われたのですが、この時期には、差別の対象となり、身分としても、住処としても、民衆と区別されました。他にも、「芸能民」など、かつては、神と交わる、特別な力をもつと畏れられた人たちが、多かったようです。

その意味では、やはり、「憑き者筋」の場合と似ています。伝統的なシャーマンの要素を残している人たちです。ただ、「憑き物筋」の場合と比べると、その要素はかなり減退しているし、村の一員として認められていなかったのが異なります。

それを、政府が、差別を排するということは、村人に、村の一員として住まわせることを強制することなので、それに対する反発が一気に沸騰したのでしょう。しかし、その残虐な殺害のあり方は、ただならぬことで、西洋の「魔女狩り」そのものであることに注目すべきです。

そこには、それらの人たちを、根こそぎにしたいという思いすら、感じさせるものがあります。その動機も、「魔女狩り」の場合と、ほぼ同じといえます。つまり、そのようにして、「特別の力をもつ」人たちを、村の一員とすることにより、不幸がもたらされることを恐れたということです。既になされた不幸ではなく、これから起こると予想される「不幸」の原因とみなされるところは、「魔女狩り」と違っていますが。

「憑き物筋」の場合は、殺害されるまでには、至りませんでしたが、それは、先にみたとおり、もはや村の中で、一定の条件のもとに、許容され、抱え込まれていたからでしょう。しかし、「えた・ひにん」の場合は、それまで村の人たちからは、隔離されていた人たちであり、いきなり、村の一員として迎え入れるなどは、難しかったのでしょう。

この辺りのことは、『狂気をくぐり抜ける』の記事、『日本で「魔女狩り」に相当する事件 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5962.html )に詳しいので、参照ください。

いずれにしても、結局、日本の場合も、「オカルト」的なものを体現する人たち、あるいは、「オカルト的なもの」そのものに対しても、強力な嫌悪があり、それを排除しようとする意思があったことは、明白といえます。それも、やはり、近代の前後の時期に、強く現われているのです。

ただ、西洋の場合のように、明白に「悪」の観念と結びつけられることがなかったため、支配的な層から民衆まで、一体となって、徹底的に排除されるまでには至らなかったということです。また、西洋の場合に比べれば、そのようなものを認めて、受け入れる姿勢も、強かったといえます。ただし、「解放令反対一揆」にみるように、一旦、その排除の意思が、多くの者によって爆発したときは、その激情に任せて、見境もなく、徹底的かつ残虐に、実行されることもあるのです。これは、日本の特徴といえそうです。

このように、日本においても、近代の時期以来、「オカルト」的なものの排除の意思は、ずっと続いているというべきです。

近代になってからは、そのような排除の意思の対象になるのは、特に、「超能力者」といわれる人が多いようです。明治期には、福来友吉という東大の学者が、念写や透視などの超能力を現した何人かの超能力者を実験して、その能力を「証明した」とされたこともありました。しかし、その後、様々なバッシングを受けて、自殺した能力者が出て、福来も大学を追われてしまいました。

昭和期に、出口なおや出口王仁三郎の興した大本教の、大々的な弾圧がありましたが、それもやはり、「オカルト的なもの」の排除という面が強いでしょう。また、最近では、超能力少年として有名だった、清田君なども、バッシングの対象になることが多かったです。

このような、排除の発想がある限り、「オカルト」的なものを、正面にすえて、研究しようとしても、なかなか難しいことでしょう。

これまで、「オカルト全般」についての、前置きのような内容の記事が多くなりました。次回は、「オカルト」の具体扁として、先に少し触れた、「超能力」をとりあげてみたいと思います。

posted by ティエム at 21:52| Comment(0) | オカルト全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする