2018年07月10日

私の体験から

私が、そのように考えるにいたったのは、自分自身のいくつかの経験にもよっています。

もともと、私は、10代の頃は、「科学」を信奉する者で、「オカルト」的なものは一切否定する考えでした。しかし、20才の頃、オカルト方面の本を読んで、一概に否定できないという思いを抱いたことや、自分自身、いわゆる「体外離脱」を連続的に体験するなどし、科学的に割り切れない現象は確かにあるという考えになりました。

さらに、私のもう一つのブログ『狂気をくぐり抜ける』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/)で述べているように、30才の頃、私自身、「オカルト」の強い作用を受け、「オカルト真っ只中」というべき体験を、することになりました。それは、数カ月に及ぶもので、様々な混乱と苦悩を経て来ました。一般には、それは、「統合失調」や「解離」などの、「精神的な病」として理解されるものではあります。「精神医学」が、そのような見方を支える役目を果たしています。しかし、私の経験からすると、それは、どうしても、「オカルト」抜きに理解することは、無理のものでした。

そのような体験を経て、私は、「オカルト」は確かに存在するということ。それは、決して、遠いところにあるのではなく、誰もが、いつ体験してもおかしくない、身近なところにあるということ。それに惑わされて混乱することこそが、「精神的な病」といわれるものの、実質であることを知りました。

つまり、「精神的な病」といわれれるものは、実際には、「オカルト」的なものと接する、最も身近な「機会」であり、「入口」なのです。ところが、「精神医学」という学問が、それを「病気」とし、「治療」の対象とすることで、そこから、「オカルト」的なものを、閉め出しています。必ずしも、「科学」そのものが、「オカルト」を否定しているわけではないのです。「精神医学」そのものは、「科学」といえるものか、怪しいものですが、イデオロギー的な意味で、「オカルトを捨てる」ということに、最も貢献しているのです。

『狂気をくぐり抜ける』のブログでは、『「精神医学」と「オカルト」的なもの 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-6b32.html)という記事が、このあたりのことを主題として述べていますので、是非参照してください。

ともあれ、それ以来、「オカルト的なものに惑わされる状態」の多くは、「病気」として処理され、「治療」の対象とされます。

しかし、それで、問題が、本当に解決するはずもありません。「病気」として「治療」の対象としても、「オカルト的なものに惑わされる」こと自体が、なくなったり、減ったりするわけではないからです。そもそも、「オカルト」そのものが「なきもの」とされている限り、このようなことは、検討される余地すらありません。

その意味でも、現在は、「オカルト」そのものを、正面から問う必要が出てきていると思います。

いずれにしても、「オカルト」的なものが、本当に身近な問題として問われるのは、自分自身が、その作用を受けたときでしょう。そのようなとき、「オカルト」について知ることがないと、混乱を深めることにしかならないと思います

『狂気をくぐり抜ける』のブログでは、そのような「狂気」の状態を、かなり根源的に考察しています。ただ、一般には、難しいと思われる部分も多く、「オカルト」については、多く触れられていますが、基本的なところから説き起こすことはしていません。

そこで、このブログでは、「オカルト」そのものについて、基本に溯って、分かりやすく学ぶということを、企図しました。
posted by ティエム at 23:08| Comment(0) | オカルト全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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