最初の記事で述べたように、「オカルト」については、「科学との関係」ということを抜きにしては、本当には、語れないところがあります。あるいは、「科学との関係」をしっかり見直さないで、「オカルト」のみで突き進むことには、本当に危険な面があります。オウム真理教にもありましたが、一見「科学的」に見えながら、実際には「疑似科学」そのもので、「オカルト」の偽装でしかないようなものもよくあります。それは、「科学との関係」が、本当には見直されていないことから、来ていると思います。
また、前回、「精神医学」は、実効的な意味で、「オカルトを捨てる」発想を支える、強力なイデオロギーだと言いました。しかし、だからといって、「精神的な病」とされるものが、実際には、ただ「オカルト的なもの」に惑わされているだけで、何ら「病的」ではないというわけではありません。むしろ、「オカルト」的なものが、実際に、「危険な力をもったもの」であるが故に、それに惑わされることは、社会的には、「病的」と評されることにもなるような、危険な状態をもたらすのです。
そのようなことも踏まえれば、「オカルトの危険性」にも、十分目を配って行かなくてはなりません。「オカルトの危険性」を重視するからこそ、「オカルト」を、「基本からしっかりと学ぶ」ことが、重要なことにもなるのです。
そういうわけで、「オカルトの基本を学ぶ」と言っても、ことはそう簡単なことではありません。「科学との関係」や、それを問うことの意味自体を、顧みて行うとなると、「歴史的」な考察や「哲学的」な考察も必要となります。
このように、これまであまりなされたことのない試みであり、意欲的な試みなのですが、できる限り、分かりやすく、誰にも分かるような表現を目指すつもりです。