2019年06月07日

「陰謀」と「魔術」「悪魔主義」

前回、「この世的には難しいと思われることでも、背後にある、「オカルト」的な領域から働きかけることによって、それがこの世的に実現しやすくなる」ことがあるということ。また、「そのような効果を期して、この世の人物が、オカルト的な力を頼って、陰謀を働くことが多くある」ということを述べました。

これは、一種の「魔術」にほかなりません。「魔術」などというと、多くの人にとっては、関わることなどない、疎遠なものと言うかもしれません。

しかし、多くの人も、たとえば神社などに行けば、何かしら「願をかける」ということはあると思います。「願をかける」というのも、神々という、この世の背後にある存在の力を借りて、願いを叶えようとすることなのですから、もはや立派な「魔術」の一種です。本人の意思は、必ずしも、実際に「叶えられる」と思っていないとしても、どこかでそのようなことを期待しているとすれば、その「思い」が、神々に通じないとも限りません。

あるいは、このようなことは、単純に自分の「幸せ」を願うことなのだから、「魔術」というのとは、異なると思うかもしれません。

しかし、日常においても、誰かに、何か酷いことをされたというときに、「コノヤロー」「〇〇!」みたいな感じで、呪いの言葉を吐いたり、心に思ったりすることはあるはずです。これなども、もし、この世の背後の存在の力と通じるようなことがあるとすれば、やはり、十分一つの「魔術」(呪術)となり得るのです。この場合は、他人への攻撃の意図を含みますから、「魔術」という言葉にも、違和感はないはずです。

このようなことは、「支配者」として、自分の望みのとおり人々を動かし、自分の願望を叶える必要に多く迫られる人々にとっては、より強く望まれ、行われることであるのが分かると思います。そして、このような人々は、直接、背後の存在に、願いをかけることもあるでしょうが、背後の存在と強く結びついて、それを取り次ぐことのできる、特別な能力をもった人間を、身近に抱え込んでいることも多いのです。

最近では、レーガン大統領が、お抱えの「占い師」に、政治的な判断について、アドバイスを受けていたことは有名ですし、このようなことは、現代の多くの政治家にも、当てはまることのはずです。「占い師」というと、穏当なイメージですが、本当は、「魔術師」である可能性は、いくらもあるのです。

現代では、政治家よりも、金融資本家等の経済力を持つ者の力の方が絶大であり、それらの人々もまた、自らの富を拡大し、支配力を高めるため、このような行いを、多かれ少なかれ必要としていることでしょう。

日本の戦国時代も、それぞれの武将が、何ほどかの「霊媒師」「シャーマン」を身近に抱えて、背後の存在に、戦いについて伺いを立てたり、守護してもらうなど、その力を頼るということが多くあったと思われます。その前の時代では、むしろ、多くのことが、背後の存在の力でこそなされると解されたのであり、そのような存在と通じることができる人物が、支配者の元で重宝されました。「陰陽師」の安倍 晴明などは、そのような存在として、有名です。さらに、卑弥呼や神功皇后など、支配者自身がそのような力を有した場合もあります。

いつの時代も、支配者は、「陰謀」と「魔術」に染められていたということが言えるのです。本当に,、人間の合理的な計算で、人々を支配できる部分などは、わずかと言うべきですから、そのような力を頼るのは、当然のこととも言えます。そして、「超能力」や「霊」についての記事でみたように、そのような力が現実にあるということは、少なくとも近代以前の多くの文化にとっては、当然のことだったのです。

前回、「それを、本当に、この世的な現象として実現させるには、人間の協力がある方が、威力を発揮する」と述べました。現代では、技術も飛躍的に発展したので、人間としてなし得る限りの行いは、人間がなすことの方が、より合理的になっています。しかし、それでも、最後のところは、やはり、そのような存在の力を頼らざるを得ないことも多いのです。

そして、そのような存在の力を頼ることは、必ずしも、「意識的」である必要はありません。先に述べた、「願をかける」とか「呪いの言葉を吐く」などの行いも、必ずしも、「意識的」に、そのような力を頼るものではありませんでした。「無意識」レベルで、通じ合うところがあり、結果として、そのような力を呼び寄せることがあれば、十分なのです。あるいは、背後の存在の方が、主導権を握り、この世の支配者を、(本人は意識しなくとも)「憑依」的に操るということも、いくらもあるのです。

このような、「支配者」が「陰謀」としてなすような、「魔術」に関わる存在は、支配者の意識はどうあれ(本人は、正義に適うことと思っている場合も多いでしょうから)、多くの場合、「悪魔的な存在」と言うことになるでしょう。その場合、自分の望みを叶えるとは、端的には、敵や不都合な者に、危害を加えることを意味することも多いからです。

そして、もし、支配者が、自ら積極的に、このような「悪魔的存在」の力を頼り、引き出そうとするなら、それはまさに、「悪魔主義」ということになるでしょう。それは、同時に、悪魔との「契約」において、悪魔の望む、非人間的な行いをも辞さないことになることを意味します。

そうして、その効果を実感した者は、より「悪魔」の力を信じ、それに「魂を捧げる」ことで、さらに深く、悪魔主義のとりこになっていくこともあり得ます。そうなれば、普通は考えられないほどの、非人間的な行いも、平気でなすようになるということもあるのです。人間そのものが、悪魔に近づくという言い方もできるでしょう。

現代は、そのような支配者も、かなり多くいると推察されるのです。現に、最近は、そのようなことが、多く行われているとしか考え様のない出来事も、多いはずです。

ところで、このように、悪魔と結託して、人々に危害を加える者は、かつて「魔女」として恐れられ、「狩られた」者でもあったのでした。次回は、そのこととの関係を顧みると同時に、「陰謀論」のネガティブな効果にも、改めて触れてみたいと思います。

posted by ティエム at 01:52| Comment(0) | 陰謀論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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